京料理 六盛について

物語

六盛の初代は仕出屋からスタートし、
当時出入りしておりました「六盛会」の屋号を受け継ぎ、
明治32年、創業致しました。
「六盛会」とは錦林学区内六地域の学校運営の審議を担当した学区会議員の組織です。
開業当時は、今の武道センター(当時の音大)の向かい側でお商売しておりましたが、
昭和41年に「手をけ弁当」を始め手狭になりましたので、
昭和52年に現在の疏水北側へ移転しました。
この時、六勝寺(平安時代)の“瓦留め”跡からたくさん出土した瓦が、
今もお店の玄関に飾ってあります。

先代はハイカラな人で、テレビCMや新聞広告などよく出しておりました。
当時の新聞広告には「路上駐車できます。」なんて書いてあったりして面白いです。

平成元年にはお会席用小部屋とご披露宴もしていただける大広間、洋間を増築。
そして、晩年に出会ったフランスのスフレに感激し、
元のお店を改築して京都で初のスフレ専門店を出しました。
反対に当代は京料理の源流を6年間じっくり勉強し、「創作平安王朝料理」を完成。
さらに、お若い方の和食離れを危惧し、
学生さんを対象に和食のマナー教室もさせて頂いております。
また、新郎新婦おふたりの手づくりのご披露宴もお喜びいただいているようです。

私共は、自分の目のとどく調理場で作ったお料理しかお出ししたくない
という気持ちを受け継ぎ、
かたくなに一店舗主義を貫いております。
六盛のお料理を楽しみにお越しくださるお客様方に、
たくさんのいい思い出をお持ち帰りいただけるよう心がけております。
心のこもったお料理とお客様の立場にたったおもてなしの心を大切に、
みなさまのご来店をお待ちしております。


手をけ

味の匠の閃きが、新たな京料理の世界を誕生させました。

「手をけ弁当」を創案したのは、二代目当主の堀場吉一でした。
ある日、縄手三条を下がったところにある「たる源」の 店先にさしかかった彼は、
冷奴入れの桶に眼をとめ、
「あれを料理の器に使えないか…」と、ひらめいたのです。
さぁ、それからが大変でした。
どのように、盛り付けるか。
とにかく、初めての試みのために試行錯誤の模索の日々がつづきました。
そして出来上がったのが、青竹の輪器を真中に、
和え物、出し巻き、串刺しのかまぼこ、南京、きぬさや、焼き魚、ひめたけ、小芋、
わらび、麩まんじゅう、椎茸に海老などを盛り込みました。
それに、季節の替わりごはんに赤だしを添えました。
こうして、京料理を手軽に召し上がっていただける、「手をけ弁当」が誕生しました。

名人気質が香る桶づくりの名匠の手をけに、四季の彩りが映え、
京料理の絆が手軽に味わえる六盛の「手をけ弁当」は、 皆様方の知るところとなり、
以来、今日まで六盛の代名詞になっています。

※たる源にて六盛の手をけを制作したのは、中川亀一氏。
現在は、二代目の中川清司氏(人間国宝…重要無形文化財保持者)に制作していただいています。